最高裁判所第一小法廷 昭和63年(オ)1094号 判決 1992年6月25日
上告人 甲野花子
同 甲野一郎
同 乙野春子
右三名訴訟代理人弁護士 後藤徳司 日浅伸廣
被上告人 安田火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役 後藤康男
右訴訟代理人弁護士 平沼高明 堀井敬一 西内岳 木ノ元直樹
被上告人 茂木健一
同 株式会社金星水産星屋商店
右代表者代表取締役 星屋和仙
右両名訴訟代理人弁護士 江口保夫 泉澤博 江口美葆子 戸田信吾
被上告人 富士火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役 葛原寛
右訴訟代理人弁護士 江口保夫
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人後藤徳司、同日浅伸廣の上告理由第一点について
一 被害者に対する加害行為と被害者のり患していた疾患とがともに原因となって損害が発生した場合において、当該疾患の態様、程度などに照らし、加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、被害者の当該疾患をしんしゃくすることができるものと解するのが相当である。けだし、このような場合においてもなお、被害者に生じた損害の全部を加害者に賠償させるのは、損害の公平な分担を図る損害賠償法の理念に反するものといわなければならないからである。
二 これを本件についてみるに、原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 本件事故は、昭和五二年一一月二五日午前四時五八分ころ、東京都杉並区下高井戸<番地略>先の首都高速道路四号線下り車線上で発生した。すなわち、被上告人茂木健一(以下「被上告人茂木」という。)は、加害車両を運転し、下り車線の左側第一車線を新宿方面から高井戸方面に向かって走行中、進路前方の非常待避所から第一車線に進出しようとする車両があり、これに対応して先行車両が急ブレーキをかけたため、第二車線に進路を変更した。被上告人茂木は、第二車線の被害車両(甲野太郎の運転する個人タクシー)が前方を走行しているものと思っていたが、実は被害車両が停止し、第二車線をふさいでいることを前方約一四メートルに迫って発見した。そこで、あわててハンドルを左に切り戻し、被害車両と第一車線の先行車両との間を通り抜けようとしたが、その際、加害車両の右側面を被害車両の左後部に衝突させた。
2 甲野太郎(以下「太郎」という。)は、本件事故前の昭和五二年一〇月二五日早朝、タクシー内でエンジンをかけたまま仮眠中、一酸化炭素中毒にかかり、意識もうろう状態で内野病院に入院し、翌日意識が戻り、一一月七日に退院して直ちにタクシーの運転業務に従事したが、右一酸化炭素中毒の程度は必ずしも軽微なものではなかった。
3 太郎は、本件事故によって頭部打撲傷を負い、その後次のとおりの経過をたどって死亡するに至った。
(一) 太郎は、本件事故直後、意識が比較的はっきりしており、被上告人茂木や臨場した警察官の質問に対して不十分ながらも対応していた。動作には精神症状に問題のあることをうかがわせるような不自然な点がみられたが、これといった外傷もなく、太郎から頭部の痛み等の訴えもなかった。しかし、太郎は、ほどなく記憶喪失に陥り、一人で自宅に戻れなくなったため、長男が引取りに出向いた。
(二) 太郎は、その後、自宅療養を続けていたところ、煙草を二本同時に吸おうとするなど奇異な振舞いを示すこともあって、同月三〇日、中村外科病院に入院し、頭部外傷、外傷性項部痛症と診断されたが、精神症状の存在を理由に精神病院への転院を指示された。
(三) 太郎は、一二月七日、国立国府台病院精神科で診察を受け、痴呆様行動、理解力欠如、失見当識、記銘力障害、言語さてつ症等の多様な精神障害が生じていると診断され、同月一六日、右病院に入院し、以後、同病院で治療を受けたが、症状が改善しないまま、昭和五五年一二月二九日、呼吸麻痺を直接の原因として死亡した。
4 太郎の前記精神障害は、頭部打撲傷等の頭部外傷及び一酸化炭素中毒のそれぞれの症状に共通しているところ、昭和五四年六月ころのCTスキャナーによる脳室の撮影では、太郎の脳室全体の拡大(脳の萎縮)がみられ、これは頭部外傷を理由とするだけでは説明が困難である。太郎は、本件事故により頭部、頚部及び脳に対し相当に強い衝撃を受け、これが一酸化炭素中毒による脳内の損傷に悪影響を負荷し、本件事故による頭部打撲傷と一酸化炭素中毒とが併存競合することによって、一たんは潜在化ないし消失していた一酸化炭素中毒における各種の精神的症状が本件事故による頭部打撲傷を引金に顕在発現して長期にわたり持続し、次第に増悪し、ついに死亡したと推認するのが相当である。
三 原審の右認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、これによれば、本件事故後、太郎が前記精神障害を呈して死亡するに至ったのは、本件事故による頭部打撲傷のほか、本件事故前にり患した一酸化炭素中毒もその原因となっていたことが明らかである。そして、原審は、前記事実関係の下において、太郎に生じた損害につき、右一酸化炭素中毒の態様、程度その他の諸般の事情をしんしゃくし、損害の五〇パーセントを減額するのが相当であるとしているのであって、その判断は、前示したところに照らし、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第二点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の裁量に属する過失割合の判断の不当をいうものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 味村治 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達)
上告代理人後藤徳司、同日浅伸廣の上告理由
第一 上告理由第一点
一 原判決は、太郎のCO中毒に関し、結局、再発症としての間歇型を認めず、CO中毒による何等かの脳損傷があったこと言い換えてみるならば、CO中毒によって脳損傷が残されていたことを認定しているところである。すなわち、右認定は、CO中毒は、完全に治癒しておらず(回復は認めているが)、何等かの脳損傷程度の傷害が残されていたということになる。一方、太郎はタクシーの運転業務に従事し、原判決によれば、これを正常に行っていたというのであるから、特段の事由のない限り、右脳損傷は軽快中のものであって、その意味では、重篤でもなければ、再発の可能性も無いものであるとの認定であると云わなければならない。すなわち、原判決(一審判決を援用している)をどう読んでみても予後的な脳損傷としか読めないし、間歇型でない以上、再発型が他にあるとも思えないので、仮りに、脳損傷があるとしても、それは予後的なものであると解さざるを得ない。
二 一方、原判決は、本件の衝突が「かなり強度」である旨認定したうえ、結局「太郎は、頭部にみるべき外傷こそ受けなかったものの頭部、頚部および脳それ自体に対しては、相当に強い衝撃が及んでさきの一酸化中毒による脳内の損害に悪影響を負荷したもの」と太郎の脳部に強い衝撃が加わったものと認定しているところである。
三 すなわち、右第一項と第二項の認定を総合するならば、主従を区別し軽快中の予後的な脳損傷のあるところに相当強度の衝撃が加えられたという意味以外に解しようがない。通常寄与度の認定は、斯様な場合、その間に強弱を考え五分五分と判断しない。存在した脳損傷が回復期における予後的なものである以上、通常の因果の関係は、治癒に向かっているということになるから、その途上に、さらに、外力が負荷されたとしても、その寄与度を五分五分と判断するが如き衡平感の無いことは行わないし、行ったとすれば、合理性のないところである(勿論、その認定は、一義的に科学的でなければならない等と云うつもりはない)。言い換えてみるならば、原判決が引用する第一審の右判示部分は、寄与度につき、強弱ないしは主従の区別をしているところである(従って、原判決が文言として間接的なる用語を後記の如く加入したとしても、第一審の右認定と原判決の寄与度の算定間に齟齬があることになる)。
四 それに、太郎の症状にしても、コルサユフ症候群等や脳波の異状(脳波によって、その異状の原因は解らないが、異状の存在は明示される)は、本件交通事故直後に発症しているところであるので、CO中毒の間歇型を否定した以上(CO中毒後の脳波は正常であった。ということは、脳損傷があったとしても脳波に異状をきたさない程度のものであるということになる)、交通事故以外の原因も認められないので本件交通事故に因るものと認めるのが論理である。
すなわち、交通事故という直接の原因によって、太郎に右異状が発症したとしか認定の仕様がない。この点に関し、原判決は判示理由三・四項において、第一審判決につき、「間接的原因、間接の原因」なる判断を加えるところであるが、言葉のあやはともかくとして、交通事故に基づいて、異状が発症し、その異状の発症に、CO中毒による左記の程度の脳傷害が寄与したとしても、その発症の直接の原因は交通事故であって、その発症が交通事故に因るものである以上、死亡についても交通事故が直接の原因であって、CO中毒による脳損傷はこれに寄与したところと解する一審判決が常識である。すなわち、原審判決は、一審判決の心を理解しないまま、一審判決の言葉のみを訂正したところと云えよう(けだし、この部分の訂正は、前記のとおり、第一審判決の前記認定と整合性がなく「間接的原因」と判断した理由も付されていない)。
しかし、言葉のみにせよ、これを直接と解するか、間接と解するかは、寄与率の認定については重大なる影響をおよぼすところである。
けだし、間接的と解する以上、五分五分という認定の合理的根拠となり得るからである。しかし、前記第一項および第二項で述べたとおり、原判決は、第一審判決を引用するところであり、その引用部分に「CO中毒による軽度の脳損傷に、相当強い衝撃が加えられ」且つ、その衝撃直後コルサユフ症候群や脳波の異状が発症したとの客観的証左がある以上、その間の寄与度に甲乙の差がなく五分五分と解することは、右事実の認定と寄与度の計算に齟齬があると云わなければならない。けだし、右等の第一審判決の認定を前提とするならば、その間の寄与度につき差異があって当然であり、同等との価値判断を裏付けるところではないからである。
五1 もっとも、原判決は「……本件事故の関与を否定するものではなく……」と鑑定の結果を援用するところであり、それはそれなりに正しい表現と解される余地もあるが、原判決が、前記のとおり、「間接的原因」とかの一審判決の訂正を行ったり、寄与度の認定を同等と認定した裏には、右鑑定に少なからざる影響を受けたところと推測し得る。
そこで、右鑑定の結果を念のため検討しておく。
2 右鑑定は、総合すると、CO中毒の存否を判断することは不可能と判断したうえ、その存否を否定し、仮りに肯定したとしても、CO中毒は、軽度のものとしか認定していないことに注意すべきである(被控訴人の昭和六三年二月八日付準備書面および同年二月二二日付準備書面添付の意見書参照。もっとも、右意見書は陳述されていないが、鑑定書の解釈にかかわるところであるので、結局鑑定書を解釈する際の参考程度のものである)。すなわち、右鑑定書には確かに「一酸化中毒の方が考えやすい」旨の記述もあるが、これに対応する理由付はなく、むしろ、資料をもっての判断は、CO中毒を何等かの意味で否定しているところであるので、右は、合理的鑑定に基づく結果ではなく言葉のあやと考えなければならない。しかる時、右鑑定においても、CO中毒に関する部分は、一審判決のとおり、CO中毒が存在したとしても軽度のものであったと判断していると考えるべきである。すなわち、一審判決の認定と右鑑定に基づく判断は、一致している。
3 そうなると、本件交通事故が、軽度のCO中毒に与えた影響を考えねばならないところであるが、鑑定の結果は、なる程、「その関与を全く否定するものではない」という程度に極めて消極的な判断を行っている。しかし、右鑑定においては、本件交通事故の直後に発症したおう吐・頭痛・失見当識等コルサユフ症候群や脳波の異状が発症等を無視してこれを資料としておらず、その意味で交通事故に関する部分の鑑定を怠ったに均しい結果となっている。片や一審判決(原判決)は、これ等の発症と衝撃の強度性から、太郎が本件交通事故に基づき、頭部等に強度の衝撃がおよんだ旨前記のとおり認定しているところである。しかりとすれば、頭部の衝撃は「強度」であったとの認定を前提としなければならず、右鑑定の結果である「本件事故の関与を否定するものではない」旨の消極的結果に基づいて心証を形成することは証拠に基づかない判断をした違法を犯していると云わなければならないし、その判断には、齟齬があることになる。
六 寄与度の算定ないしは判断も、証拠をもって合理的に為されなければならないことは勿論のことである。そして、一方が軽度であり、一方が強度であるとすると、特段の事由のない限り、寄与度についても、軽度は低く、高度は高くなるのが合理的であり、客観的な判断と云えよう。加えて、CO中毒による脳損傷は推測である一方、交通事故に基づく各種の発症は、単なる推測ではなく、現にこれが確認されているとすると法律的には、交通事故による右発症等が脳の異状を示すものであるだけに、寄与度は交通事故に軍配をあげるのが正しいところである。すなわち、原判決は、証拠に基づかないで不合理な判断を行う違法を犯していると云うべきであるし、重大な経験則違反を寄与度の認定において犯していると云わなければならない。すなわち、本件全証拠に従えば、CO中毒の寄与度はあったとしても、ごく僅かである。
七 尚、右上告理由については、上告人の昭和五八年一一月一四日付準備書面、昭和五九年七月二日付準備書面、昭和六〇年一一月二八日付鑑定前における意見書および<書証番号略>中医学書をも各援用する。
第二 上告理由第二点
一 原判決(一審判決を援用して)は、太郎が第二車線上に被害車両を停止させていたこと(上告人は、走行中であった旨主張している)につき「右停止の場所時間帯からみて、右停止は太郎の不注意によるものと推測する」と判示する。ところで、自動車は機器であるから、故障する蓋然性があることは理の当然のことであり、且つ、燃料切れということもある。それに、高速道路等における停止は本能的に危険であって、平然と為し得る性質のものでもない。すなわち、高速道路における停止は、物理的には可能であっても、現実的には殆ど蓋然性に欠けるところである。言い換えれば、自動車は、何等かのメカニック的原因によって停止することもあるし、一方、人為的には、停止することは、特段の事由がなければ(例外……渋滞)困難である。しかる時、間接的な証拠も無く、過失を推測することは証拠に基づかず、且つ、経験則に反するところであって、許されるところではない。
もっとも、原判決の右推測は、太郎に対する脳損傷の存在から何等かの影響を受けたところであるかもしれないが、脳損傷に基づく精神異状を原因として停止したのであるならば、それはもはや過失とは云えない。
また、原判決は「停止の場所時間帯から見て」ととってつけた如き理由を判示するが、右は過失を推定するための合理的理由とは何等考えられず、停止の場所は、内側走行車線であって、停止の場所としては追突の危険が多く、不適当というよりも正常の神経では恐れるところであり、時間帯から見てという意味がハッキリしないが、これまた早朝であるから、内側車線は、現に加害車両がそうであったように、スピードをあげた自動車の走行が予定され並の神経では止まり得るところではない。すなわち、物理的には止まり得ても、人間の本態から停止などできる場所および時間帯ではないことは、運転の常識であり、仮りに停止したとすれば例外であるので、斯様な事由は、不注意を推測するに足る合理的事由ではない。すなわち、証拠に基づかない経験則違反の推測と云わねばならない。
追記
原判決には、太郎のCO中毒につき「……意識が回復するまでに約一日を要したことをみると、右中毒の程度は必ずしも軽度なものとはいいきれない」旨判示している部分がある。しかし、鑑定の結果によると、太郎の意識喪失とは「せん妄状態」であって、この程度のものは、一酸化中毒に起因するか否かすら疑わしく、一酸化中毒であっても軽症であることが明示であり、且つ、これを裏付ける如く、太郎は、運転業務に励んだり、脳波の異状も見られないので、少なくとも、脳の損傷が残っていたとしても(本件交通事故の際)それは軽症であると考えなければならない。